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〒430-0903
静岡県浜松市中区助信町15-1
TEL: 053-461-0808
FAX: 053-465-0135
営業時間: 9:00〜17:00
定休日: 土日,祝日,年末年始ほか
社長プロフィール

ご挨拶

はじめまして。ヤマヤ醤油代表取締役「金原利征(キンパラトシユキ)」と申します。私は静岡県浜松市というところで、「浜納豆」という発酵食品を作っております。

浜納豆は、古来より浜松で作られ続けてきた伝統食品であり、かの有名な徳川家康公が大変愛した食品であると知られています。浜松は日照時間が全国でも長いことで有名であり、晴れた日の太陽と、「遠州のからっ風」とよばれる強い風が浜納豆の天日干しに適した環境であるといえます。

その他、味噌・醤油の製造・販売も行っております。詳細は弊社サイトをご覧くださいませ。

大好きだった父と野球

私は1977年(昭和52年)に浜松市の助信町に金原家の長男として生を受けました。2人姉弟の姉と5歳年の離れた私は、両親、特に父にとっては待望の男の子だったようです。父は「トシ、トシ」と私をとても可愛がってくれたことをよく覚えています。

小さいころより、父の影響で野球が大好きになり、休みの日に父にキャッチボールをしてもらうのがとても楽しみでした。幼かった頃は構えたグローブの所に父が下から狙って投げ、うまくとれない時は、『構えている所にもっとしっかり投げて』と父のせいにして怒り、よく父を困らせたそうです。年に一度地元でプロ野球が開催されるときは、父に連れて行ってもらい憧れのまなざしでプロ野球選手を見ていました。

両親、祖母、そして5歳年上の姉にかわいがられ、幸せな幼少時代でした。

「浜納豆作りなんて大嫌い」だった少年時代

私は金原家の長男であることから、自然と周囲から「老舗ヤマヤ醤油の7代目跡取り」として期待の目で見られることなりました。

「なんで俺の将来の事を勝手に決めるのか」「跡を継ぐなんて一言もいっていない」

物心ついた時から跡取りとしてみられることに少しずつ違和感を覚えるようになりました。浜納豆作りのような汗まみれの肉体労働は格好悪い、一生の仕事にするなんて御免だと思っていたのです。出来る事なら、当時大好きだったドラマ「東京ラブストーリー」のように大都会に出て、お洒落な仕事、生活をしたいと憧れていたからです。

8歳のころから強制的に手伝わされる浜納豆の仕事も嫌でたまりませんでした。学校の友達が好きに遊んでいる中で、何故自分ばかり休みの日に早起きをして肉体労働をしなければいけないのか。日に日に不満は募ります。そんな私の胸中を察してか、優しい父は「会社を継げ」とは一度も言いませんでした。

突然の父の死、人生の岐路

高校を卒業し、一浪して名古屋の大学に入りました。憧れだった都会生活はとても楽しいものでした。実家の会社を継ぐことなど頭になく、ただただお気楽な学生生活を満喫する毎日でした。

20歳のある日のこと。実家の母から電話があり、すぐに帰ってくるようにと言われました。

「お父さんが病気になった。余命幾ばくもないかもしれない・・。」と。

まさに青天の霹靂、その時の衝撃は今でも忘れられません。父の病を悲観する暇もなく、平日は大学に行き、週末は名古屋から浜松に帰り父の代わりに仕事をこなすという慌ただしい日々が始まりました。母、姉と共に家族一丸となって必死に仕事をこなしました。

一方、父は自分の病名を知らないこともあってか、自分の身体の事より会社の事ばかり気にしていました。「仕事は大丈夫か?」「あれはどうなってる?」病院に顔を見に行っても仕事の事ばかり口にしていました。そして、3か月後‥

「トシ、仕事の事、頼むな。」

奇しくも、これが父が私に向けて言った最後の言葉となりました。葬儀を終え、小さな骨片となってしまった父をぼんやりと見つめながら、自分達家族はこれからどうしたらいいのだろうか…呆然としました。しかし、時間は待ってはくれませんでした。20歳にして、大学を辞め父の代わりに会社を継ぐか、会社を手放すか、重い決断を強いられることになったのです。

「父の会社を潰すわけにはいかない。」迷わず会社を継ぐことを選びました。

大学は中退するつもりでしたが、ありがたいことに母が「あと二年私が頑張るから卒業まで行きなさい。」と言ってくれたのです。母も夫を亡くし心細かったと思います。また、社長であった夫がいなくなり会社の責任を背負う立場になったのです。その状況下で自分に卒業まで大学に行けと言うのにはどれほどの覚悟が要ったのか、感謝をしてもしきれない想いでした。

22歳の社長

そして大学卒業後、正式に父の会社の事業を引き継ぐこととなりました。しかし、大学出たての22歳の若造が通用するほど社会は甘いものではありませんでした。

会社の業績は年々下降線・・社運をかけた浜納豆の新商品を作っても、思いとは裏腹に全く売れず、大量の不良在庫を抱える事に。このままでは・・と不安が胸をよぎり、眠れない夜が続きました。社員に支払う給料を確保するため、自分の給料をなんとか生活できるギリギリの額まで引き下げその場をしのぎました。「仕事の事、頼むな。」父の言葉がよみがえります。

「もっと親父に仕事の事を習っておけばよかった。」そう思っても後悔先に立たず、決算書を見るたびに真綿で首を絞められる思いでした。「父の会社を潰すわけにはいかない。」という思いだけで継いだものの、この先どのように商売を続けていったらよいものか、完全に暗礁に乗り上げてしまっていたのです。

浜納豆の魅力

28歳の時、友人の紹介で当時看護師だった妻と出会いました。付き合って3年で結婚し、1年後に長男にも恵まれ、つつましくも幸せな生活を送っていました。

すやすやと眠る長男の顔をみて、「家族のためにもこのままではいけない。なんとかして状況を打開しなければ。」と強い想いが湧き上がってきました。しかし何をどうしたらよいかわかりません。

いつものように独り黙々と浜納豆を作っていると、ふと「浜納豆の魅力ってなんだ?」という思いに駆られました。浜松の名産として売られている浜納豆。そのまま日本酒のおつまみにしたり、お茶漬けにしたりがポピュラーな食べ方であり、ご年配の方に好まれる商品でした。自分自身は正直あまり好きではなく、浜納豆の魅力についてなど考えたこともありませんでした。「古臭い食べ物だな・・」と他人事のように思うこともありました。「くせが強くて、珍味のようなもの。」そう思っていました。

しかしある日、「浜納豆を買うために浜松まできた。」と言って下さるお客様がいらっしゃいました。「この味、くせになるんだよね。どうしても食べたくなっちゃって、まとめ買いしに浜松にくることがあるんだよ。僕みたいな根強いファンのためにも頑張って作り続けてほしい。」と大変ありがたいお言葉をいただきました。他にも「お祖母ちゃんが大好きで、自分も子供のころから何十年も食べている。」とおっしゃるお客様もいらっしゃいました。「浜松の名物といえば浜納豆だよ。」と言って下さるお客様も・・・。

当時、浜納豆100gの出荷は月に1000を超えており、それだけ買って下さるお客様がいらっしゃるということに改めて気づきました。

「こんなに多くの方に愛されているなんて、気づかなかった・・。」

私自身、浜納豆に対する価値観が変わっていくのがわかりました。古臭いものを作っているという勝手なマイナス意識が、いつしか浜納豆に対するマイナス意識に変わってしまっていたように思います。

どこかで「自分は好きで浜納豆を作っているわけではない。」「親父の遺言だったから仕方なく社長をやっているだけだ。」というふてくされた思いで浜納豆と向き合っていたのではないかと思います。当時そのような気持ちでお客様に浜納豆をお売りしていた自分を恥じる思いでした。

しかし、いつしかそのような思いは消えさり、浜納豆を愛して下さるお客様のためにも、この長い歴史を持つ伝統食品を広めていかなくてはならない、そんな強い想いが湧き上がってきました。それが自分の使命のようにも感じました。

調味料として

浜納豆の根強いファンでいてくださるお客様がいらっしゃることはわかりました。浜納豆に潜在する可能性も感じるようになりました。また、江戸時代からの浜松名産品を自分の代で廃れさせるわけにはいかない、という思いもあります。

では、どうしたらいいのか・・

そんなある日、学校給食の配達(弊社は浜松市内の小中学校でお味噌・醤油・浜納豆を使用していただいております)に行く道中、「そういえば、給食で浜納豆をどんな風に使っていただいているのだろうか?」とふと疑問に思いました。学校の調理師の方(俗に親しみを込めて「給食のおばちゃん」とよばれている方達のことです)に「浜納豆をどうやって給食に出されているのか聞いてみました。すると、「浜納豆煮やサバの味噌煮だよ。」と意外な答えが返ってきたのです。

自分の子供のころは、浜納豆が丸ごとお皿にのり、給食に出されていたイメージが強かったので料理に入れるとは思ってもみませんでした。試食していただきましたが、とても美味しくて驚いたのです。

それをヒントに、妻に「浜納豆を使った料理を作ってくれないか。」と頼んでみたのです。妻は快く協力してくれました。浜納豆をみじん切りにしたものを、グラタン・パスタ・炒めもの・和え物など、子育てと仕事のかたわら毎日のように色々な浜納豆を入れた料理を作ってくれました。すると、予想以上に色々な料理との相性がよかったのです。もちろん合わない物ももありましたが、和・洋・中、イタリアン‥一つ一つの料理に深いコクが出て、とても美味しくなったのです。私自身も驚いた結果でした。

そして「これは調味料として使える。間違いない。」と確信したのでした。

無添加でしかも発酵食品、それを調味料にするということに大きな可能性を感じたのです。浜納豆を使用したレシピは、HPまたはクックパッド「浜納豆」にてご検索いただけます。

>>ヤマヤ醤油公式サイト レシピ
>>クックパッド「ヤマヤ醤油のキッチン」

妻と二人三脚で‥

妻はもとより、看護師という職を持っていて、ヤマヤ醤油の仕事には全く関わっていませんでした。私も一緒に働くことは望んでいなかったのですが、将来の事を考え、日に日に妻に会社に入ってもらいたい、という思いが強くなってきました。業務的なことはもちろん、明るく前向きな妻とならどんな時でも踏ん張っていけると考えたからです。もともと妻は、浜納豆について大変肯定的で、「今はどんな物でも機械や添加物を使って簡単に作ってしまう時代だけれども、あえて機械化せずに1年以上もかけて手作業で作っているなんて素晴らしいこと。無添加で自分の子供達にも安心して食べさせられる。」と言ってくれていました。

「会社に入ってくれないか。」という頼みに、妻は「いいよ。」と意外なほどあっさりと了解してくれました。私が苦悩しているのをみて、「何か手助けできることはないか。」とずっと考えていてくれたそうです。こうして、妻も加わって心機一転、再出発を遂げたのです。

近況報告

その後、妻にはブログやクックパッド、facebookを通じて浜納豆のレシピを広めてもらっています。大変評判も良く、年配のお客様だけではなく、30~40代のお客様も増えてきています。

先日は浜松の「アンテナショップ」というお土産物屋さんで、浜納豆入りの麻婆豆腐となしの麻婆豆腐の食べ比べイベントを行ったのですが、「浜納豆が入っている方が美味しい!」「驚いた!」との嬉しい声をいただき、浜納豆の調味料としての魅力を感じて頂けることができたようです。 今は、浜納豆を調味料としてもっと気軽に使用できるよう、改良を加えているところです。どうぞご期待くださいませ!

最近では、有難いことにテレビや新聞でも取り上げられることが増え、バタバタと忙しい毎日を送っています。

終わりに

休みの日に家族で工場に行き、妻と2人で浜納豆を作ることがあります。

大嫌いだった浜納豆作り。父が亡くなってからは、炎天下の日も、強い北風が吹く寒い冬の日も、独りきりで浜納豆の天日干しをしたものですが、今は独りではありません。妻と2人で心をこめた浜納豆作り。工場の外では3人の息子たちが元気よく走り回り、父が生きていたらこの光景を喜んでくれただろうかと考えるときがあります。

いつか父に会うことができたら、「お前に任せてよかった。」といってもらえるように、ヤマヤ醤油の看板を、伝統食「浜納豆」を守っていきたいと強く思っております。

これからも心を込めて、安心・安全で美味しい商品を提供できるよう頑張っていきますので、どうぞ宜しくお願い致します。皆様の笑顔と健康のために少しでもお役にたつことが出来たなら、ヤマヤ醤油7代目として最高に幸せです。

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