佛教伝来とともに日本に伝わる!
浜納豆の話
社長の金原です!
もともとは、中国の豆鼓が日本に伝わったものです
中国の豆鼓が日本に伝わり、日本文化として取り入れられてきたものが浜納豆です
諸説ありますが、日本に佛教を伝える際、幾度となく失敗し、文字通り命を懸けて来日した鑑真和上が、佛教と共に日本に伝えたといわれてます
日本で佛教の教えと共に広まった影響で浜納豆がお寺で作られているといわれています
(京都の大徳寺納豆、一休寺納豆、浜松の大福寺納豆、今は作るのをやめてしましましたが、浜松の法林寺も法林寺納豆という名称で製造していました)
みな、ツールは同じなんですね
『豆鼓と何が違うの?』とたまに聞かれますが、Made in Japan なのか Made in China なのかの違いです 日本人なら浜納豆を食べましょうね(笑)
しかしながら、中国の豆鼓を食べたことがありますが、味は結構違います
好みの問題ですので優劣はないですが、豆鼓の方がクセは強いです
『浜納豆だってクセが強いじゃないか!?』と思った通な先輩! 豆鼓は浜納豆以上です!
徳川家康公は、佛教思想をとても大切にされていたとの事
どこかのお寺で浜納豆と出会い、好物になっていったのかもしれません
しかし、鑑真和上はなぜわざわざ自らが命を懸けて日本に来たのでしょうか
唐側もこれだけ偉大な人を出したくなかったハズですからそれを押しのけてでも鑑真本人が渡日して伝えたかったものはなんだったのか
教えだけではなかったのではないかと勝手な妄想を膨らませています
鑑真和上が伝えたものを試してみたい方はこちら
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