今回のブログは私、羽田(ハダ)が担当させて頂きます。
私は20代の頃、青年海外協力隊に行っておりました。
派遣された国はパナマ共和国というところです。
パナマはコスタリカとコロンビアの間に位置し、その国土は日本の1/5程で、北海道よりやや小さいぐらいです。そこに約390万人が住んでいます。
パナマ自体は最近ではパナマ文書で耳にしたことがあるかと思いますが、それ以前はパナマ運河でようやくピンとくるぐらいの、あまり日本人にも馴染みのない国です。
今回はパナマについての細かい情報は割愛させて頂いて、そこでの写真を何枚かご紹介します。まずは私が赴任した村の様子を写したものです。山に囲まれたところで、町から山道を車で登ること8時間の先住民族が住む村です。
ここで私が住んでいた家の写真です。屋根はトタンですが、壁は土壁で出来ています。
内部はこんな感じです。床は地面剥き出しで、竹で出来たベッドで寝ていました。
毎晩、ネズミが来ては貴重な食糧をかじられていました。
次の写真は現場を写したものです。このようなジャングルを開墾し、田んぼを作っていました。
村では橋がかかっていないところが多々あり、どうしても向こう岸に渡りたい場合は、写真のように川を横断していました。
ジェットコースターよりスリルがありますよね。一度川の水深を見誤り、ポケットに入れていたデジカメを水没で壊してしまいました。最後の写真は村から村へと移動した時のものです。基本的には徒歩で移動ですが、馬に乗って山道を行く人も中にはありました。
日本では決して経験出来ないことの連続で、苛酷なことも多々ありました。今、考えると若さと情熱があったからこそ、成し遂げられたと思います。
このパナマでの2年間があったからこそ今の自分があります。
また機会があればパナマの写真を紹介しますので、乞うご期待。
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-パナマな男、羽田です
-パナマ, 青年海外協力隊